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≪情報や本舗≫≪中村天風=91歳≫≪新年によせての講演≫≪恬淡!明朗!溌剌!颯爽≫

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若々しく生きるための”かわら版”≫⇒糖鎖情報や本舗

新年明けましておめでとう。

皆さんは恬淡明朗溌剌とした元気に満ちた天風精神で新年を迎えられたことと思います。新年に際し、何か私の言葉が欲しいとのことで、ここに録音をするわけだが、言うまでもなく、 新年も年末もなく一貫して必要な教義を教えられているので、特に新年だからといって特別に言うことは何もない。

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何時も言っていることを改めて申し上げる「忘れじと思う心は忘れけり、忘れて後は忘れざりけり」という言葉があるが、全ての刹那、教えの通りになってなけりやいけない。人生真理に順応した生き方になってなければいけない。こういう場合はこうしなけりゃいけないなんて一々考えているようではいけない。

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補足です】⇒≪忘れじと覚えしうちは忘れけり 忘れて後が忘れざりけり⇒忘れまい、忘れまいと覚えているうちは忘れてしまい、忘れているうちは忘れていないという意味。例えば、あなたの名前はなんですか?と問われるまでは自分の名前を忘れているように、幸せにあるいは健康になろうなろうとしている心の状態では決してなれず、何か物事に熱中したり、集中したりしている時間が全てを忘れているとても幸せな状態・・・自分の心がそれにとらわれない為にも、一瞬一瞬していることに集中するようにしていきたいと、いうことらしい≫

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それには日常の修行の実行に際して情熱の炎を燃やしてかからなければならない。単に儀式的に、習慣的にやったのでは何にもならない。朝の体操にしてもいかにもスマートにやっている人がいるが型にはまっていてもそこに燃えるような情熱がなければならない。そうでなければ、技としてはどんなに進んでもこれでは効果はない。

いわゆる尊さに慣れてしまって魂が抜けている。これが一番注意しなければいけない。不運や不健康に会うと、何か自分には業のようなものがあってそうなっていると思っている人がいるがそうではない。実行しているその仕方に情熱の炎が消えかかっているからだ。いくら言ってもいい足りないぐらい大事なことなのだ。たった今入会したぐらいのつもりで真剣にやるのがいいのだ。

Cow03【十牛の図の3番】

十牛の図の何番目の位置にあるか反省することだ。実際20年のベテランでも十牛の図の3番目にあったことに気付いて冷や汗をかいたという話がある。自分ではもうすっかり教えの通りに生きていると思っていたがと後悔したというが、後悔しただけでは駄目だ。20年でもこうなんだから、新しい人は尚更だ。

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「日々に新たにして、日々に新たなり」という言葉があるが、たった今悟ったといった気持ちで情熱の炎を持って実行するならば、毎日実行しても少しも飽きないし惰性的にならない。同じ誦句を言うのでも門前の小僧のように言ってはいけない。情熱の炎を燃やし、「力だ、勇気だ、信念だ」という時に力、勇気、信念そのものにならなければ駄目だ。

情熱を持ってやるから,やる度にその喜びを噛みしめることが出来毎日実行することが出来る。井上さんがよく、天風教義の一番の実行者は私だと言われるが私もそうだと思う。私は、天風教義の実行者としては誰にも負けない。生きている限り一日といえども休むことは許されない。時として起床出来ないときは床の中で出来る行修を行う。

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惰性的に何となく生きては駄目だ。人間の感受性はだんだん習慣的に慣れてしまう。それを常にシビアに保つためには日々に新たに、日々に新たな心がけで刻々の瞬間を過ごすようにしなければいけない。今までのように、この教えから離れて惰性的に生きてはいけない。これ以外に、人間として尊く、強く、生きる方法はない。折角の教えを聞いても、そのときは納得しても、さっぱり行動しない者もいる。

Kounosuke宇野千代著「天風先生座談」に書かれた松下幸之助の帯書き!≫


諸君はそうしなければ生きていけないんだということを考えないんだなあ。私は諸君に、時によってはこうあるべきだが、時によってはこうでなくてもいいよなって言ったことは一度もない。教えを生活から離してしまうからいけない。

「ずっと、そんな事しなけりゃいけないんですか」などと聞く奴が居る。「しなければいけない」と断言する。一日の内に、何時間か死んでいる時間があるのならともかく、ずっと生きているのなら、一瞬も見失っては絶対いけない。生きるというのはそういう事なのだ。もう、少しぐらい今は休もうとか、この問題は少し目をつぶってなどという例外は一つもない

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「日々新たにして、日々是新なり」、新年に限らず、もう一瞬一瞬に、初めてその真理に気付かされた時の感激を以て 真理に即した生き方をする事を祈念する。およそ生きているものは全て、その与えられた摂理に従って生きなければその生命を全うすることは出来ない。

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新幹線はあのレールの上に置くから200kmのスピードが出せるのであって、高速道路の上に置いてもその能力を発揮する事はできない。人間として、あるべき心の持ち方、身体の処し方、日常のあらゆる瞬間に正しい処し方がある。これを踏み外して、なんぞ生きがいのある人生を送ることが出来ようか。新幹線をレールの上に置かずに道路の上に置いたようなものだ。これだけ言っているのに、今年不運や不健康に見まわれたらそれはこの教えを忘れたからだと反省してすぐにこの道に戻るようにしなさい。

改めて、この講義を聴く前より元気になって生きることを心に期してこの講演を終わります。


Img9943f2d9zikazj■昭和41年 「新年によせて」の講演より 
天風翁=90歳 京都天風閣にて

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≪情報や本舗≫≪たけしくん、ハイ!≫【はにかみタケシ】≪その男凶暴につき≫【チョイわるタケシ】・・・新宿時代・学生時代

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夜にもなれば「キャット」に「ベビグラ」「たる小屋」と行くところに、こと欠かないのだから新宿東口から歌舞伎町にかけては楽しい!大學封鎖でわれらと共通項の輩が集まってくる町だった

そうそう港の「ヨウコ」横浜♪・・・♪ではないが、「めぐみ」といって浜の港(横浜)から時おり「ビザール」に来て、「ベビグラ」に行き、辺りが暗くなると「たる小屋」へは、「チャコ」と言うエキゾチックな美人さんと現れたものだ!同郷の誠くんが、この美人さんにオカボレして出入りしていた

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この頃には、北野はすでに五十嵐のアパートに転がり込んでいた、「たる小屋」に接点があったのか、めぐみと知り合うきっかけになったのだろうか?

めぐみは当時若松孝二プロダクションに所属と言ってもアシスタントとして【後に助監督となる】働いていた

「めぐみ」はビザールに来ては、よくエキストラを募集に!めぐみと親しかった「洋一」の取り計らい?でジャズ仲間の懐寂しい連中どもが、こぞってこのバイトに参加したようだ!その中に「北野」がいた、ひょっとしたらこの時に、映画の下地を取り込んでいたのかも?知れない

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この頃、明治大学で一緒の「ホウちゃん」はビザールでボーイとして、また北野はヴィレッジヴァンガードでボーイとして働いていた。【北野タケシの後述談であるが、遅番のボーイで、その時ヴィレッジヴァンガードで早番のボーイとして、あの”連続射殺事件”の永山則夫が働いていたことが、あとで分かったと】

ここらあたりから、お互いにアルバイトに明け暮れえる生活が始まる・・・大学生であって、大学生でない【大学が封鎖されているのだから】私にはねぐらはあるが、「北野」は家出同様な状況ゆえ、ねぐらはなし、そんなこんなで、どういう経緯(いきさつ)なのか、私と同郷の「五十嵐まこと」のところに転がり込んだ「北野」!・・・居候とも言うが

「まこと」のねぐら=棲家は新宿から徒歩で帰れる”十二社(じゅうにそう)”で、その先の”初台”が余の棲家だった。居候の「北野」は何度か「まこと」の棲家に踏み込めない時に「初台」に臨時停車?しに来たこともあった

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この頃、学生のねぐら代は月に一万円前後で、大卒の平均給与が2万5千円程度だったか?ねぐらがあるのと、無いのとでは、この住居費の差は大きい!そこでバイトに明け暮れ、より高額な処を求め歩くのだが、そこはビザールで拡がった、タモリの「友達の和!」だ、今のアルバイト情報誌を越えているかも

大学の学生占拠のキャンパスも落ち着きを取り戻し、学校生活にそろそろ戻らないと卒業証書やらが手に出来なくなる。

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【こんなセット?で団子を焼いて・・・「シズルを売れ!」というとおりウナギを焼いてシズルを売って、団子を焼いてシズルを売る】

今のバイト新宿三幸町の三越の地下(今で言うデパチカである)で特設売り場での「売り子」のバイトである、名古屋名物の”みたらし団子”売りだ・・・バイトも昼日中は難しくなった時

「洋一」が浜のめぐみの家で知り合った慶応ボーイの「博太」くん!そして私がビザール・ベビグラで知ることとなった「バブーン」とが偶然なのか?同じバイト先【あとで「北野」もここで働くことになるのだが】このバイトが、皆が眠る丑三つ時のお仕事で朝8時にあがる学生には、ドンピシャのピッタシ、カンカンなのだ

一方、北野はというと、居候先の「まこと」の一緒にいた兄が就職が東北の都に出向社員で赴き、転居せざる状況になり、」何故か池袋の椎名町のほうに、もちろん一緒であるが、違ったのは居候ではなく同居人である、そう家賃は折半と聞いた

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理由はあれ、兎も角ふたりとも大学生活と縁を切ることを同時ではないし、挙ってでもない様だが、決意したのか!世間で言う”中退”の二文字を選択した!北野は池袋界隈でバイトに精を出し、「まこと」は六本木でスナックのカウンターを任され料理にシェーカーにと清を出していた

この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧の青春時代を過ごす。ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り[実演販売員、ビルの解体工クラブのボーイ東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。

東京国際空港のではジャズ喫茶でしった中上健次と共にAGS荷役作業役として働いていた

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後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演したり学生演劇に参加したが、ヴォードヴィルのような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていたという。

大学は140単位のうち106単位まで取得していたにも拘らず、結局通学せずに除籍。のち、2004年(平成16年)9月7日、明治大学より「特別卒業認定証」100単位以上を取得しながら、何らかの理由で通学できなくなった人物に与える制度。及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。

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階段の壁に”マイルス・デビス”のポートレートを中心にかけてあった記憶がある!当時ボサノバブームで確かスタンゲッツの曲が多く流れていたのではないかな・・・・【ダッグ・ビザール・キャットともに地下の店でジャズの店というのも何かの・・・かな?】

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  【この頃集めたマッチはどこへ?】

そうそう当時は禁煙もうるさくなくと言うよりタバコがファッションの一部だったのでは、タバコにはマッチが付き物ですよね?とてもお洒落なマッチを提供している店に出向くといった、やはりファッションだったのですね。ご他聞にもれず「ビザール」「キャット」「DUG」のマッチは持ちあることが新宿ジャズマン・ウーマンのステータス・シンボルであり、現在のように携帯電話などない時代の情報伝達手段の一つだったかも(ビジネスカードとしての役割も兼ね備えていたよ】

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 【和田誠さんのイラスト=ウイキペディアより】

特に「DUG」のマッチデザインはイラストレーターの「和田誠」氏のデザインでしたね!当時の日本専売公社の一番人気のヒット商品タバコ「ハイライト」のパッケージデザインも「和田氏の作品でそのほか多くのデザインを手がけています!私はこだわりのショートピースを缶入【通称ピーカン】と大型マッチを持ち歩いた記憶があります

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≪情報や本舗≫≪ルナファイターズ≫【女性だけのファンクラブ】≪日本ハム球団広報≫≪江別ファイターズクラブ≫

_news333何か!持っているのは「栗山監督」だったかも・・・

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コメントいらない、BIGニュースが・・・・・

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Button_switch_now≪夢をありがとう!少し残念・・でも明日がある!きっとある!2013日本シリーズ4戦全勝・・・≫


いやはや頼もしい応援団ができたものだ・・・・女性だけのファンクラブが2012年開幕戦の先発「斉藤祐樹」の応援にバス仕立てで、押しかけるのか?韓国の少女時代に負けず劣らずの美人ぞろいじゃ・・・・・

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■北海道日本ハムファイターズ【公式?】の【フェイスブック】
【Facebook】【試験運用】・・・(選手の写真が満載!!!)


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北海道日本ハムファイターズが、北海道を本拠地にと札幌ドームをホームタウンと決めた年に、北海道野球協議会の「柳俊之」(現理事長)氏と生まれ育った岩見沢にファンクラブを作ろうと日本ハム球団の広報部長「土田」氏と担当の「浅田」氏と揃って地元有志に働きかけ、北海道では、かなり早いファンクラブ結成だったのでは・・・

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昨年の4月頃でしたか?再び柳君と札幌ドームも女性の応援姿が多く見かけるようになってきたし、ここらで「女性だけのファンクラブ」の結成を、仕掛けてみようか!と意気投合


6月に人脈広き通称”マッタン”こと⇒松岡女史に声をかけたところ、「このおはなしにピッタリの人がいるので、紹介するは・・・谷本歯科の御夫婦は揃っての大の日ハムファン!奥様にお話してみる・・・・」と


Photo_5⇒≪マッタンこと松岡女史≫


松岡女史の人望の厚さに、改めて感服!2年ほど前にアメリカ9・11の報道で一躍著名人、このところ報道番組などに外交ジャーナリスト・作家として出演の「手嶋龍一」氏が札幌大地会のゲスト講演に登場した折にも、松岡女史の人脈・人望について言及しておられましたな

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8月に谷本夫人とお会いして、賛同ということで、アチラコチラに声掛け・根回ししてみますと!9月になって発会式のお誘いを受け20名近くの”熱狂的な女性日本ハムファン”が集まり、この夜に窓から見る満月が、それはそれは、お集まりの面々のように美しくもあったことから松岡女史が「ルナファイターズクラブ」としては?というのが名前の謂われです


こうして、2010年も残り少ない11月29日に「ルナファイターズクラブ立上げの会」が発足!柳くんと一緒に駆けつけたところ日本ハム球団の広報のグループ長「荒井昭吾」さん(元ファイターズの選手)江別ファイターズクラブの事務局長「立本英之」さんらも応援に駆けつけて、

Photo_3≪谷本里美代表幹事≫


当然のことながら「谷本里美」会長のご挨拶からスタートしました!野球協議会の「柳俊之理事長」の参加や球団広報の「荒井」氏の応援ということもあってか北海道新聞・讀賣新聞・毎日新聞と3社も取材にみえていましたのが印象深かったですね

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■北海道日本ハムファイターズが、北海道を本拠地にと札幌ドームをホームタウンと決めた年に羊が丘展望台に完成した記念碑!

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【ダルビッシュ!大リーグ入り】・・・・・・朝日新聞でルナファイターズ代表の谷本里美さんがニュースコメント!「損失は大きいし残念だけれど、出してあげるしかない、彼は米国で試す力がある選手だからしょうがない」と話す

News2【朝日新聞のニュース】


■新聞を観ての問い合わせや参加申し込みなども順調に増えているそうです

江別ファイターズクラブの「立本」さんがカメラを回し続けての動画≫

_news■日本ハムファイターズの最新情報⇒【@NichiHum_News

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