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≪頭山満翁と中村天風の辻説法≫≪上野精養軒前の石の上≫≪情報や本舗≫

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     ≪若々しく生きるかわら版≫ASEAの公開資料

やっぱりもつべきものはいい先生だといつも思うんでありますが 私を今日有らしめた大きな力の大部分はもちろんインドのカリアッパ先生のあのお導きにあるけれども


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しかしそのお導きを受ける資格を作ってくれたのはやはり子飼いのときから育てあげられた恩師「頭山満」にあると思っているんです。


インドで、まあとにかくにも普通の人よりも尊い自覚や悟りを得て、それでさらに「孫逸仙=孫文」とともに支那(中国)の辛亥革命に従事して 日本を離れて通算7、8年たってから日本に帰ってきた。

そのときは恩師「頭山先生」もとうに私がどこで死んだかわからないような最期を遂げたもんだと思いこんでおられたらしい。

そして私はいきなり父や母に会う前に「頭山先生」のところへご挨拶に行ったのであります。朝たしか6時ごろ行きました。頭山さんという人は5時ごろ起きる人で朝遅く行くと出ちまう人ですから。7、8年前までは私が行っても玄関から上がったことはないんであります。

内玄関から入ってそして奥さんが必ず居間におられるから 「こんにちは、ご機嫌およろしゅう・・・御大は?」「奥に!・・・」「ああ、御免なさい」とすぐに部屋に上がったものです。

そのならわしになってますからその日もいつものように内玄関から入ったら奥さんがおられて「ああら! まあッ」と驚いてね。そら驚いたでしょう。始終、話のついでに「あの暴れん坊めどげんしよったか?


・・・もうどっかで死んじょろたい」といって話してるところに突然ポカッと来たんですから 奥さんはびっくりするわね。

それからまあ ご無沙汰のお詫びをして 「さて 御大は?」といったら 「ちょっと待って」・・・おや ふだんと違うなと思って 「待って」といわれた以上 入るわけにはいかないから そこいると さあ 30分ぐらい待たされたなあ。


ははあ これは7,8年 ご無沙汰してたんで ご換気をこうみったのかなと・・・。これは思わざるをえないわ。けれども また私の方には理屈があるもんね。通信したくとも 手紙書きたくとも 人里離れたインドの山の中から郵便出すこともできず 今みたいな飛行郵便なんて便利なものがある時代じゃないんだもん。

いわんやまして 自分の病を治しながら修行していたというような事実を おわかりくださらない先生じゃないと思ってましたから。それとも 御大 体でも悪くて まだ寝ていらっしゃるかなと思った。

いろいろさまざまの自分なりの空想を頭の中に描いてると 30分ぐらい待ったと思ったときに 今度は奥さんでなく 書生が「どうぞ・・・」と こう言う。はてな と思ってね。でも とやかく聞く必要はないから 黙って行きましたよ。


で 先生のお居間に行くと こんどは「どうぞ・・・」と奥さんがおっしゃる。あなた方だとひょいと障子を開けてから 「御免!>と すぐ入るでしょうけれども 我々のほうじゃ そんな礼儀はないんであります。

必ずまず障子を開けて 障子の外でお辞儀して それから2度目の声がかからないと中へ入りません。これ長い間の習慣ですから。

最初 お辞儀して ヒョイと中を見たら頭山先生も奥さんも紋付の着物を着ておられる。ありゃりゃ。どっかへお出かけのとこかと思ってね。これは大変なお妨げをしたなと思ったら 

「こちらへ・・・」と 今度は先生がおっしゃる。先生が「こちらへ」なんて私に言ったことはありゃしない。先生が私を呼ぶときは 名前を満足に呼ばれたことないんです。いつでも「こら!」ですよ。

「肩もめ。なんじゃ そのもみ方は。足もめ」。もませられるのはたいてい私の仕事なんだから。外へでかけりゃ 必ず私が下駄をそろえてあげなきゃならない。「こちらへ」なんて言葉は聞いたことありゃしない。


キツネにつままれたような気持ちで中へ入った。そうしたら 床の間のとこへ座布団をひとつ据えてね 頭山先生が「どうぞ」「いや ここで結構でございます」と こう言ったら

「どうぞ!」「はっ」鶴の一声というか もう いや応ない。床の間へにじりよって その座布団に半分のった。めったにのれません。先生の前で座布団敷いたことなんかありゃしないもん。

そうしたら 奥さんがにこにこ笑いながら「あのう 申し上げたいことがあります。あとからおりてもよろしゅうございますから 今はすっかりおのりなさいませ」と こう言うから 何だかしらねえけど いよいよキツネにつままれたような気持ちになってね。


妙なもんですよ。のっちゃ悪いような気持ちの座布団の上へのせられたんですからねえ。まあとにかく 仕方がないからのったよ。

そうしたら 頭山先生が「思いもよらないときに帰ってこられた。今も家内と話したが 8年じゃなあ・・」と言うから 
「はあ」「あなたは選ばれた人じゃ」・・・・・・さあわからない。耳を疑ったよ。そうしたら 笑い顔ひとつしないですからね。


「選ばれ人じゃ。クリストは悟りたいために5カ年間 釈迦が6年 マホメットが7年 不思議にこの人たちは1年づつ増えてるが その間どこに行ってたかわからなかった。」

「それであらわれたときは いなくなった前より まったく見違えるような立派な人間になってあらわれた。あなたはそのマホメットよりもう1年長く 8年間どこに行ったか行方知れず。折々家内とも話してた」

「どっかのわからない国でのたれ死にしてりゃせんか。それが今日帰られた。いや 会わないうちからわかる。立派にあなたは自分自身をつくりかえて帰ってこられた。これは深い天の思し召しがあると思わなきゃならん。

『天のまさに大任をこの人にくださんとするや 必ずまずその心志を苦しめる』 まさにあなたがそのとおり。せんじ詰めれば これからのあなたは あなたの人生に生きるでない。人の世のために生きるために あなたは生まれ変わられた。おわかりになったか・・・・」

「はっ」「それじゃあ座布団をおりなさい」それから座布団をおりて 「いやあ 久しぶりじゃったなあ まあこっちへ来い。きょうは一緒にゆっくり飯を食うぞ」と打とけてくれたんだけど 

その言葉はピーッと私の頭に残りましたよ。そして 自分が悟りえた後の私は そらもう 自分でももったいないほど 恵まれた人生に生きられる身分になったんです。

 
もっとも 支那から帰るときに その当時の金でもって弐百万円近くの金をもって帰ってきた。孫逸仙とお互いに亡命するときに分け合った金であります。今 弐百万円なんてのは たいていな人の奥さんがへそくりとしてもっている金だろうけども 

米が一升三銭ぐらいのときの弐百万円ていうのは相当大きなものなんだよ。今の金にしたら 少なくとも 20億、30億以上でしょう。その金があったためでもありますが 約3ヵ年というものは じつに私 順調異常の運命に生きられたんであります。


そうして いやゆる本当の心ゆくままの人生に3年間生きてたんだけど やっぱり気のつくときがくる。ありがたいことで 大正8年 5月の31日です。

時の陸軍大将の大迫という人が日蓮宗を根本として世の中を救うという 大日本救世団というのをたてられた。その発会式をおこなうにさいして 頭山先生にぜひ壇上に立っていただきたいという。

ところが 頭山先生は 「おいどんはしゃべることはでけんたい。天風 ついてこ」。それでついて行きましたよ。そうしたら 大迫大将が頭山先生を紹介しました。


「千古の栄哲 世界に誇りとする頭山先生を ご紹介する」。そうしたら 壇上に出られた頭山先生 チョコッと頭下げてね 黙って正面むかれた。驚いて時計計ったら 3分黙ってる。耐えかねたか

聴衆の1人が「聞こえませーん」といったよ。そうしたら 前の方の人間が 「黙れ お顔だけ拝んでろ」。頭山先生は何ていわれたって知らん顔してなさる。

これはね 度胸以上の度胸もんじゃなきゃあ できる芸当じゃありませんぜ。そうでしょう。雷のごとき急霰の拍手をあびて そしてかりそめにも 陸軍大将が制服を着て厳かに 「千古の栄哲 世界に誇りとする頭山先生を ご紹介する」と 

そしたら コクリと頭さげただけで グッと向こう見て 黙って3分だもんね。私もね 40年 言論生活してるけど 1分ももちませんよ。黙って向こう見てるのは。


あとで聞いてみたら 吹きだすようなことなんです。「御大 あのとき何を考えていたんです?」といったら「考えることがなかったんや。ああやって聴衆の気持を落ちつけといてから おぬしば紹介しようと思ってた」3分間黙っていた。

それから「聞こえません」「顔見てろ 拝んでろ」みんなに言わせておいてから それから今度はニコッと笑って
「私はしゃべれん男や。私の気持のすべては 天風がここに来てる これにしゃべらせる」

ははあ それじゃあ 俺は今日しゃべるためにここへ連れてこられたんだ。お供で来たつもりなのに そう言われた以上 出ないわけにはいかない。

そうかといって 何をしゃべるか聞く必要はありゃせん。この男のしゃべることは自分の気持ちだってんですから 私は頭山先生になって 約1時間しゃべった。

それでしゃべったときだ。ふっと私の心の中に 尊い本心 良心が輝きだしたんだな。演壇を降りると ただちに頭山先生の前に言って
「今日ただいまから一切の社会的事業と縁をきります」「そして 樹下石上を家となすとも 日本民族の魂の入れかえに従事したいと思います」と

 「うん やれッ!」この一言で私は 6月の8日までの一週間に全財産の整理をつけて ただ家内が一生食えるだけの金だけは残しておいて 私は一文なしのスッテンテレツクになって この仕事をはじめたんです。


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 私は日蓮や法然が弟子に説くときのあの艱難辛苦を覚悟して 真理説く者は自分一人が恵まれようと思っちゃいけないという意気込みをもっておりましたから たとえ樹下石上を家となすともかまわないというつもりでした。
 ただ 始めるとき 3千円だけ女房に借りました。女房と子供には一生困らないだけの金を渡して そのうちから3千円だけおれに渡させた。それはほかでもない 小岩と内幸町に家賃3百円の銀行の崩れた跡の家を十ヶ月分 3千円で借りたんです。その十ヶ月の間に私がこの未知を完全に添い遂げられなくなったら 日蓮 法然のまねをして諸国行脚だ こういうつもりでいました。ですから その3千円だって 2日ともってやしません。女房からもらってから すぐその家を持ってる人間のとこへ行って <敷金は取ってくれるな。十か月分前金で渡すから>といって 3千円を払いました。だから スッテンテレックよ。
 それでも 樹下石上なんか家とする必要はなかった。どういたしまして 月の重なるたびごとに私は恵まれた状態で もったいしごくもないありがたさで こうやって道を説かしていただいてる。  
 ただ 最初3ヶ月の間は 雨が降ろうが 風が吹こうが 焼きおむすびを腰にぶらさげて お昼前が上野公園の精養軒の前のあの四角な石の上で講演をした。

その石はいまだにあります。ときどきあそこへ行って あの石を見ちゃあ 思わず熱い 胸にせきくるものを感じながら いつも帰ってくるんです。

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