« ≪天風翁の出自の不可思議をひも解く【高祖父編】≫❶≪情報や本舗≫ | Main | ≪円山応挙の遺作品≫≪屏風絵・襖絵・掛け軸≫≪春画・あぶな絵≫≪情報や本舗≫ »

≪物理学者で文筆家「寺田寅彦」≫≪寅年の寅の日に生まれる≫≪「吾輩は猫・・」や「三四郎」のモデルとも≫≪情報や本舗≫

Images-22_20200528143501

大正から昭和にかけて活躍した「寺田寅彦」という物理学者がいました 科学者でありながら文筆家でもあった寺田寅彦は 明治11年(1878年)11月28日に、当時の「東京市麹町区」で生まれました 寅彦という名前は、誕生日が「寅年の寅の日」だったことにちなんだらしい

 

≪余談≫だが⇒もし寅の刻だったら「三寅(ミトラ)の福」となって三つそろうと強運・福運を授かり縁起がいいと 三つ揃いでこの世に生まれてきたのは「毘沙門天」「徳川家康」そして聖徳太子が討伐祈願を「寅年寅日寅刻」に行ったところ、目の前に毘沙門天が現れ、その加護によって戦に勝つ事ができたという伝説まである

 

Images-24

話を戻しましょう 「寺田寅彦」は夏目漱石の門下であったことでも知られ、漱石の作品「吾輩は猫である」や「三四郎」には、寺田寅彦をモデルにしたと言われる人物も登場します。

 

『吾輩は猫である』に登場する理学者の水島寒月、『三四郎』に登場する物理学者の野々宮宗八は「寺田寅彦」がモデルだといわれている

Images-23_20200528144501

地球物理学、気象学などに取り組み、一方で執筆活動も行った「寺田寅彦」は多くの随筆を残します

災害に関連するものも多く『天災と国防』(講談社学術文庫)今日でも警世の書とでもいうべきか 実に手際よく収められ読むことが出来ます

Images-23_20200528143101

 

 文豪・夏目漱石を「師」とあおぎまた、彼が漱石を慕っていただけでなく、漱石も彼に目をかけていました。 随筆「夏目漱石先生の追憶」では、漱石の家を訪ねた様子を次のように書いています

 

13_20200528143101

「先生はいつも黒い羽織を着て、端然として正座していたように思う。結婚して間もなかった若い奥さんは、黒ちりめんの紋付きを着て、玄関に出て来られたこともあった。田舎者の自分の目には、先生の家庭がずいぶん端正で、典雅なもののように思われた。いつでも上等の生菓子を出された。美しく水々とした紅白の葛餅のようなものを、先生が好きだと見えて、よく呼ばれたものである」

               12_20200528143301

 

 

 

 


 

|

« ≪天風翁の出自の不可思議をひも解く【高祖父編】≫❶≪情報や本舗≫ | Main | ≪円山応挙の遺作品≫≪屏風絵・襖絵・掛け軸≫≪春画・あぶな絵≫≪情報や本舗≫ »

【随筆・書籍】」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« ≪天風翁の出自の不可思議をひも解く【高祖父編】≫❶≪情報や本舗≫ | Main | ≪円山応挙の遺作品≫≪屏風絵・襖絵・掛け軸≫≪春画・あぶな絵≫≪情報や本舗≫ »