【江戸のいろはにほへと】

≪尾形光琳の春画≫≪上村松園の春画≫≪渡辺崋山の春画≫≪まさかの作家たちの春画≫≪Tenboss mor≫

 

中ほどに紹介の「上村松園」が春画を描かれている事に”おどろ木・桃ノ木・山椒の木”であった 「松園は」女性で初の「文化勲章」を受賞の女史でもあり 美人画を描かせたら当代きっての作家だったからです
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春画(しゅんが)とは、江戸時代の頃に にぎわい申した 特に男女の性風俗を描いた絵画  浮世絵師はいわゆる芸術家であるわけですが、作品は誰かに依頼されて制作することがほとんどだったので、多くの絵師たちは絵を描くことを仕事として割り切っていたのでしょう

 

人気絵師であっても依頼があれば春画であれ何であれ、お金を稼ぐために描いたのですね .ですから今どきの人はは存ぜぬかもしれぬが 我々の中学・高校の歴史教科書とか美術の本にはよく出てきていた名前の日本画作家とて同様です

 

         【尾形光琳】
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尾形光琳といえば 近世以前の日本絵画史の中で、もっとも知名度と人気の高い画家のひとりでしょうし 京都の呉服商「雁金屋」の当主・尾形宗謙の次男として生まれています…ウィッキペディアより

 

光琳30歳の時、父宗謙が死去し その頃、雁金屋の経営は破綻していて  生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送り、莫大な相続財産を そんなこんなで使い果たし、あちこちからの借金で生活も大変なようでした

 

「尾形光琳」の新作  https://www.youtube.com/watch?v=KaFehdRWP8o

 

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         【尾形光琳 春画巻物 12画 木箱入】

 

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             【尾形光琳 花のにしき】
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冒頭のお話のように お金のかせぎ処に こだわりなんぞは二の次 春画の作品があり申す 尾形光琳の春画には驚きもしますが なぜなら春画でない作品は 国宝や重文扱いのもの  主な作品に「紅白梅図屏風」「燕子花屏風」「伊勢物語図」「八ッ橋蒔絵螺鈿」など国宝に指定されているものなど数多くあり申す

 

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              ≪燕子花(かきつばた)図】
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                 ≪風神…雷神図≫

 

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                  ≪白梅紅梅図≫

 

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                   ≪竹虎図≫

 

        【上村松園】

 

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美人風俗画において精彩を放つ女流日本画家・・・美人画に終始し「近代日本画」の巨匠として不動の地位を得たのが「上村松園」である。明治8年生れ、昭和24年、74歳没(1875~1946)、本名は津弥。
京都四条の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生れ、幼くして絵に親しみ、12歳にして京都画学校に入学、入門3年目の15歳の時、内国勧業博覧会で「四季美人図」が一等の褒状を得、この作品はイギリスの殿下に買い上げられた
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古来、画家の職は男の独占であって、その中に伍して女として身を立てるのに言うに言われぬ苦労をした。その一生を描いたのが宮尾登美子の小説『序の舞』(1985年中公文庫刊)である

 

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 【注釈】1984年に実在の日本画家である上村松園の生涯を描いた宮尾登美子の同名小説を映画化したもので 葉茶屋「千切屋」が映画の中で商い番頭の半纏が多く登場していた 

 

現在も京都に創業している呉服総合問屋「千切り屋株式会社」(なんと創業二百九十年の老舗である会社に上村松園の「序の舞」など数点あることから映画の着物提供をしていた

 

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66歳(昭和16年)で芸術院会員となりその一生を描いたのが宮尾登美子の小説『序の舞』(1985年中公文庫刊)である苦労する日々の中で、彼女は薬を買うための金策として、勧められて「春画」を描いた。もちろん「芸の肥し」になるという美名のもとに、ではあるが
宮尾登美子の小説では、その部分を、こう描写している・・・・・・・・・「ひとつ枕絵を描いてみいひんか  あんたまさか生娘やおへんやろ」 «続きはこの上村松園の文末で»

 

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さてさて ネット検索でも作品の春画は多く見つからず そのうちの一枚が掲出した浮世絵春画「尻やぐら曲取り」と題する絵である・・・・全12図画帖)のうち

 

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        【印刷された春画集「春色十六景」】のうちの一枚である

 

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・・・・・「ひとつ枕絵描いてみいひんか」 「あんたまさか生娘やおへんやろ」 「この絵の裸の娘さん、清らかな色気があってなかなかよろし」このいきで男女のナニ描いたらきっと喜んで買うてくれはるひともおっせ

枕絵とはまた何といやらしいことを、津也は顔から色の引く思いだったが、しかし見知らぬ男に体を売ることから考えると、こちらはまだしも、という気はする。もしこれが、平安なときの津也だったら、「筆が汚れます」とにべもなかったろうが、いまは追い詰められた果て、頼るは我が絵筆より他にないのであった・・・・・

 

      【渡辺崋山】

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渡辺崋山の「タコと海女」と題する春画である 海女(あま)にタコがからんで犯しているという独特の構図である。この絵は崋山の絵として、よく引かれる作品である

 

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他に彼の春画があるかどうか判らないが、崋山は写生派画家であり男女のからみという春画はそう多くは見つからなかった

 

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渡辺崋山(1793~1841)は三河国田原藩士の渡辺定通の長男として江戸半蔵門外の藩邸で生れる  幼少の頃から赤貧の家計のために画業に励み、後、谷文晁に師事し、写生派画家となる

 

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          「蛮社の獄」で自刃している  (49歳)
高野長英らと共に幕府の外国船に対する強硬論に反対して慎重論をとり、蘭学者らと交友したため、崋山の影響力を警戒され、長英とともに処罰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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≪江戸屋敷≫≪江戸藩邸≫≪Tenboss mori≫

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🔴「江戸藩邸」(江戸屋敷のこと) の種類・・・江戸城からの距離と機能によって屋敷名が呼ばれていた

🔳 上屋敷・・・現藩主(当主)とその家族が居住[居住まいする屋敷]、かつ藩の政治的機構が置かれた屋敷(政治・経済・外交活動の拠点)

🔳 中屋敷・・・隠居した先代藩主とその家族、現藩主の跡継ぎ(嫡男)が居住

🔳 下屋敷・・・郊外の別荘、災害時の避難場所

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【他に下記のような屋敷も】


蔵(くら)屋敷・・・年貢米や領内特産物を収蔵、隅田川岸・江戸湾岸が多い。
抱(かかえ)屋敷・・・拝領屋敷以外に購入した屋敷・・・特に有名な屋敷は「相馬藩」の武家屋敷であろう

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【相馬藩武家屋敷・・・拝領ではないから凄い】 新宿区下落合にあった旧相馬邸は奥州中村の中村藩(相馬藩ともいう)江戸藩邸だったもので、四代太田清蔵が昭和十四年に買い取った /敷地一万五千坪、建坪五百坪、部屋数五十という広大な屋敷で、乙女山と呼ばれる庭は丘と林と谷川を擁して広々としていた

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≪将軍家より拝領の江戸屋敷≫≪屋敷の広さは石高で決まっていた≫≪Tenboss mori≫

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🔳 屋敷の広さには石高による基準が存在していた、元文3年(1738年)の規定では、1–2万石の大名で2500坪、5–6万石で5000坪、10–15万石で7000坪などとされていた。実際にはこの基準より広い屋敷も多く、100万石の加賀藩などは上屋敷だけで10万坪にも達していたそうじゃ

中屋敷・下屋敷などいれたら いったいどれほどの敷地面積であろうことか!幕府から江戸城に近接した拝領地に建てられた。大名の常住する江戸公邸で登城に即応できる好立地の大手前・西丸下・大名小路・外桜田に主要大名を配置した

 

今もって不思議な事 ⇒ 国許の大名領有地の石高に準じたものではなく領主個人の家単位に付与ものではなく例えば、領主が転封で国替えされても、また身分が変わっても江戸屋敷地の所有者は原則として変わらない が50万石から5万石に減封処分の場合、格式財政から「身分不相応」とされ、屋敷替えされたという例はある 

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尾張徳川家は総坪数は31万1000坪余の屋敷を江戸に所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた 尾張藩「上屋敷」(市谷屋敷)は当主の住まいで(現在は防衛省の敷地)

「中屋敷」(麹町屋敷)は 現東京都千代田区麹町)総坪数1万7870坪余 尾張藩下屋敷【戸山屋敷】は(現新宿区戸山〉にあり避災邸と休息用の別邸を兼ねた下屋敷として整備された

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≪江戸屋敷とも江戸藩邸とも≫≪江戸城からでの決まりがあった≫≪Tenboss mori≫

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「江戸藩邸」(全国各藩主家の江戸屋敷) の種類・・・江戸城からの距離と機能による 格差社会はの背景が見られる

🔶 江戸上屋敷・・・現藩主(当主)とその家族が居住[居(い)屋敷]、かつ藩の政治的機構が置かれた屋敷(政治・経済・外交活動の拠点)

    ≪現在の東京大学の”赤門で有名” 加賀前田100万石の表門である≫

 

🔶 江戸中屋敷・・・隠居した先代藩主とその家族、現藩主の跡継ぎ(嫡男)が居住

🔶 江戸下屋敷・・・郊外の別荘、災害時の避難場所

    ≪相馬藩の下落合の下屋敷は なんと1万5千坪という広大な広さであった≫

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 それ以外に

🔳 蔵屋敷・・・年貢米や領内特産物を収蔵、隅田川岸・江戸湾岸に多い

🔳 抱(かかえ)屋敷・・・拝領屋敷以外に購入した屋敷

 

【間取りが公開されていた】

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≪お内裏様≫≪お雛さま≫≪三人官女の一人は人妻≫≪Tenboss mori≫

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「お内裏様」と「お雛様」というおかしな表現は、そもそも内裏(だいり)とは、天皇の私的区域の名称です  お内裏様というのはひとりではなく、お殿様とお姫様のふたりという男女一対を表している
ひな祭りで、「鄙には稀な・・・」という言葉を思い出した。鄙は田舎のことで、田舎には珍しい・・・という意味だろう。後ろには「美女」、とか「素敵なお店」とかが続く 

 

※ ところでアラサー後半からアラフォーで「姥桜(うばざくら」)と言われたら嫌ですか? 

 

※ 年齢関係な「く「鄙(ひな)にはまれな」美人だと言われたらどうですか?

 

どちらも基本的に褒め言葉で「姥桜は娘盛りを過ぎても美しい女性」  鄙(ひな)にはまれな美人は田舎では滅多に見かけない都会のセンスを持った美人
ここにきて、少し豪華に5段の壇飾りを求める方が増えてきているそうだ・・・今日は3月3日「桃の節句」だ!世に知らぬことは数多くある!数年前のTV番組で「そっれって・・・本当なの?」と疑いたくなるお話が⇒
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お雛様の三人官女の真中の座っている官女が、なんと既婚者≪人妻≫だったとは今日の今日まで知りませんでしたね!・・・・これ本当のお話です、そのエビデンスは三人官女の「まゆげ」と「歯」にヒントがあります
と記事を書いたのが25年のこと!今では検索ても沢山のヒットが、そもそも段飾りは江戸時代になってからのもので、段飾りを華やかに彩る三人官女も歴史的には新しいのですね
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三人の中、一人だけ中央に眉の無い官女がいます!眉を剃り、お歯黒をつけている既婚者≪人妻≫です。ほかの2人は未婚者ですから眉はそのまま、お歯黒もしていない・・・
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≪勝海舟と浮世絵(男女の秘蔵を描いた春画)≫≪Tenboss mori≫

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安政年間にアメリカと結んだ「日米修好通商条約」の批准に幕府の監視役という重要な役目を担ってワシントンまで赴いた時の勘定奉行(いまでいう大蔵大臣)小栗上野介  その小栗上野介らの遣米使使節団の警護・警備的役割で日本保有船(咸臨丸)の艦長として、同じくサンフランシスコに赴いた勝海舟でしたが、途中で何度となく大荒れの海が咸臨丸を襲ったことが船体修復が余儀なく

 

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艦長の勝海舟は待つあいだ、サンフランシスコ市内を散策していた、ある日のこと裁判所から出頭命令が届いた。指定の日に出廷すると、裁判官が3・4人いて認否確認のあと、裁判官が2・3冊の本を掲げ「あなたは、これを、どのようにみるか?」と尋ねられた、

 

その本というのは浮世絵(男女の秘蔵を描いた春画)だった。勝は思わず「芸術本です」と応えていた

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日本では性教育など受けた事のない娘が嫁に行くことが決まると母親が、男と女の絡みの描かれた画を見せて「お前もこういう事をすることになるのだから」と性教育読本なのですよ

 

勝が「芸術本!」と言ったのが、裁判官の怒りをかったのか、勝に怒りの目を向け「このような見苦しい画を芸術と考えるのが日本の風習なのか」となじった「どこに問題が?」勝に出廷せよとなった経過はこうだ

 

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サンフランシスコ公園で二人の散歩しているレディに日本の水夫が近寄り春画を見せて、おまけにその画の中身を日本語で説明し、受け取れと迫ったらしい 、レディたちは顔を赤らめて「いりません」「いや、受け取れ」と執拗に迫った。そしてその行為を罪状に訴えた

 

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勝海舟は謝罪し、その浮世絵(春画)の本を引き取ると、そして処分を含め裁判所に出かけると、役人に呼び止められ「裁判官がご用があるそうです」と言われ案内された部屋には私服の裁判官が「先ほどは失礼した!」と何故か非を詫び「いまお持ちになっている日本の芸術品ですが…

 

 

 

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実に見事な男女のその時の姿を実に鮮やかに描いて、まさしく一級の芸術品です」とさらに「ただアメリカでは良風美俗に反する取り扱いになっている、そこでお願いがある、

 

 

その絵本を譲って下さらんか?」と赤い顔を失いながら「実を云うと水夫を訴えたレディ本人が何とかその浮世絵(春画)を手に入れて欲しいと頼まれました」と…

 

 

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≪浮世絵「東都三ツ又の図」≫≪スカイツリー≫≪Tenboss mori≫

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奇想天外な浮世絵が多く、日本よりも外国で人気の高い「歌川国芳」!その人気は海外にまで広まり、2009年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで、2010年にはニューヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリーで大規模な展覧会が開催!

 

 

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そして2013年秋にイギリスの大英博物館で浮世絵【春画だけ】を一挙150点を大公開した中にも「歌川国良」の浮世絵(春画・あぶな絵)!が

 

≪イギリスの大英博物館で浮世絵【春画=あぶな絵】を大公開!≫

 

2015年!春画は出展なかったが、浮世絵展示公開が現在札幌芸術の森美術館にて開催された

 

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国芳は、春画、美人画、役者絵、風景画、武者絵、風刺絵など、あらゆるジャンルで活躍し、膨大な数の作品を残している。

 

当ブログでも国芳の浮世絵を≪R-16指定≫≪歌川国芳≫≪奇想の浮世絵師≫≪春画・あぶな絵・まくら絵≫で書き込みしている

 

 

パワフルな武者絵やユーモラスな戯画を描き、浮世絵の常識などあるものかと、まさに破天荒といえる作品を画くことで大衆の喝采を浴びたのが歌川国芳なんです

 

 

      【東京新聞の掲載記事!】 C0119160_1231656

 

 

東日本大震災の前に、浮世絵に「スカイツリー」が予言されてる?と話題になりました。海外でも国芳の浮世絵がクローズアップされ、再評価されて、”奇想の天才絵師”と呼ばれ

 

 

 

それは、隅田川界隈を書いた浮世絵「東都三ツ又の図」の中に、東京スカイツリー(電波塔)を予知していたかのような“謎の塔”が、隅田川を描いた浮世絵に残されていた

 

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国芳が書いたと言われる場所は、今で言う 日本橋中州付近 らしい

 

 

 

対岸に見える小さな橋は、当時!永代橋の北側に3つの堀?か、水路?が在り、そこに掛かっていた橋うちの1つでは?と

 

どうです?拡大画面にするとよく分かるでしょう、小さな橋が見つけられましたか・・・

 

 

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塔の横にある、 もう一つの背の低い塔!これは記録にもあるそうで火の見櫓 とのことです

 

火の見櫓の高さは、当時!10m(3丈2尺)と決まっていたそうですから、謎の塔を比較して推定すると2倍半ほど、さするに、その高さ25mになりますか

 

     【拡大してみるとまさに電波塔!】Img_150461_4605474_3210x300

 

 

 

 

当時は江戸城より高い建物は建ててはならなかったのだそうですから、この高さの”やぐら”は、実在しないわけで、天才絵師のなせる歴史ミステリーですね

 

Images【この画像は石油掘りのやぐらです】

 

 

 

 

推測の域は出ませんが、一時的に建てられた『井戸を掘る為のやぐら』ではないかと言うのが現代の有力説のようですよ?

 

 

Photo_22011年3月11日に発生した東日本大震災 このニュースサイトの日付をご覧ください・・・なんと2011年3月5日ですよ

 

その6日前に180年前の江戸の「井戸掘りやぐらの浮世絵が参照絵として紹介されていたのも・・・・?

 

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さてさて、歌川国芳にはもう一つ予知をしていたと思われる「東都御厩川岸之図」で人物が何げなく持っている番傘に記された「千八百六十一番」という謎の数字が、途轍もない話題を呼んでいました

 

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こちらはパート②にて書き込みします

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≪奇想の浮世絵師=歌川国芳≫【札幌芸術の森】≪ねこの戯画≫【海外で話題騒然!人気騒沸!】≪本舗≫

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札幌芸術の森美術館で三大浮世絵師の一人、また無類の猫好きでも知られる「歌川国芳」展を開催している・・・(こちら有料)

 

http://event.hokkaido-np.co.jp/kuniyoshi/

 

と同時に長年のお知り合いの公益財団法人「天風会」理事長宮田興子さんのお嬢さん「椎名澄子」(彫刻家)さんの作品が美術館の中庭に11月まで展示公開されています(こちらは無料)

 

【北海道新聞】←クリック

 

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ユーモラスな戯画を描いて海外の喝采を浴びた「歌川国芳」!その破天荒で、常識をも覆す、驚きの画業から、”奇想の絵師”といわれている・・

 

美人画、武者絵、春画、役者絵、風景画、戯画(ぎが)、諷刺画(ふうしが)、いま流行の妖怪画(妖怪ウッチ)、絵文字等々浮世絵の百科事典

 

むかし「トラ!トラ!トラ!」という映画がありました、こちら歌川国芳の「ネコ!ネコ!ネコ!」で戯人画作品は、検索すると、あるはあるは、ドッサリ!と

 

 

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